山梨県の甲府がジュエリーの街と呼ばれる由来

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『宝石の街 甲府』と呼ばれるほどジュエリー産業が活発な山梨県甲府市。その由来は、かつて甲府市が「水晶の発掘地」として発展し、水晶を使ったジュエリーの為に研磨・加工技術が発達したことからジュエリー産業が発展してきたことにあると言われています。
今回は、そんな「宝石の街、甲府」や日本の誇る宝石街についてご紹介してまいります。

甲府が発展したわけ

「宝石の街、甲府」と呼ばれるようになったのは金峰山一帯から産出される水晶がきっかけだと言われています。山梨県のジュエリー産業の特徴は「研磨宝飾産業」というものです。具体的にいうと水晶を削って磨く「水晶研磨」と「貴金属工芸」で発展しました。
この歴史は、江戸時代末期までさかのぼることができます。

甲府の宝石産業の歴史

明治末期 山梨産の水晶が枯渇。ブラジルからの輸入が増える。
大正初期 貴金属を材料とした高級装身具づくりへ。機械を使って量産する業者も。
戦時中 水晶発振子、レンズ、絶縁体等の軍需研磨品の生産体制
高度経済成長期 ダイヤモンドやプラチナなどの高級製品の加工

商人の町『大阪』の宝石産業って?

昔から商人の町として発展してきた大阪には『宝石卸業者』が密集する一角があり、今でもその名残が残っています。

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西日本最大の宝石卸業者街が大阪の『南船場』です。
昔は順慶町(じゅんけいまち)通と呼ばれていて、三休橋筋との交差付近には多くの宝石貴金属卸屋が密集していました。現在でもその名残は残っていて、宝石職人、ジュエリーデザイナー、宝石鑑定士、ダイヤモンド輸入元、ルビー、サファイヤなどの色石輸入元、枠メーカーなど宝石業界に携わる店舗が南船場に集まっています。

忘れてはいけない宝石の町『御徒町』

そして宝石の町として忘れてはいけないのが東京の『御徒町』です。御徒町が宝石の街と言われたのは江戸時代にさかのぼります。御徒町周辺には浅草寺など寺社が多かったため仏具や銀器の飾り職人も多く集まってきていました。明治の中頃になると、指輪を製作、加工する業者が増え、さらに型を使用した量産技術が生まれました。これが御徒町が宝石の町を言われるようになった由来です。

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1967年頃ミヤギビル辺りと2016年現在の画像(出典:http://jto-net.com/

水晶から始まった「宝石の町、甲府」

今回は、山梨県甲府がジュエリーの町と呼ばれるようになった理由をご紹介してきました。鉱山があり、そこから加工技術が発展していったのは「ものづくりの国」日本らしい繁栄の仕方ですね。日本で「宝石の町」と呼ばれている各地域を見てみても、どこも加工技術が発展したことで「宝石の町」と呼ばれるようになっています。ぜひ、この素晴らしい技術を見に足を運んでみてはいかがでしょうか。

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